虚ろ
元親の胸には、大きな虚ろがある。
戦で対峙した時にもその美しさに息を呑んだが。
大阪城の廊下で初めて元親と向き合ったとき、三成はその姿に見入ったまま、目を離せなかった。
宵闇の深い藍色に月明かりが射したような銀色の髪。淡雪のような白い顔。澄んだ海のような、碧い瞳。
そして、胸にぽっかりと開いた、空洞。
「戦場以外で遭うのは初めてだな、三成」
そう言って、微かな笑みを湛えるその胸の虚ろから、さらり、と砂がこぼれ落ちる。
音もなく飛散する砂は、冬の透明な陽光をはじいて、彼の前髪と同じ、銀色に光った。
「・・・・・・三成?」
言葉もなく立ち尽くす三成を、元親は不思議そうにのぞきこむ。
銀色のまつげに縁取られた、日月(じつげつ)。
──── 吸い込まれそうだ。
思わず、こぼれる砂に触れようと、手をのばす。
元親は自分の胸に当てられた三成の手のひらに、おどろいたように目を瞠って。
「・・・、おもしろいヤツだな。」
言って、愉快そうに、目を細めて笑った。
かすかな震動に、さらさら、と砂がこぼれ落ちる。
彼の胸に手のひらを押し当てたまま、その光景に、三成の目は釘付けになった。
二人が向かい合って立つ廊下の片隅を、ひるる、と小さな木枯らしが吹き過ぎる。
風は冬枯れの梢を鳴らし、乾いた砂を巻き上げて、手のひらの向こうに広がる、元親の胸の空洞を通り抜けた。
聞く者の心をもからっぽにするかのような、空虚な風音が響く。
かすかなその音色にじっと耳をすませた三成は、まるで自分の心が、あの空洞を通り抜けた遠いどこかへと運び去られて行くような気がした。
そんな三成を、元親は黙って見つめている。
その澄んだ目が自分を素通りしてしまっているように感じた三成は、唐突に思った。
コヤツの魂は、あんなふうな風に乗って、一足先にどこかへ飛ばされてしまったのかもしれない。
だから留守宅になった身体が、魂の抜け落ちた場所から、こんなふうに風化しようとしているんじゃないか。
そうしてふと、飛んでいった元親の魂を呼び戻せるだろうか、と考える。
あの澄んでいるけれどどこかがらんどうな碧い目に、生気の灯がともったら、どんなにか素晴らしいだろう。
その様を間近で見ていたいと、切に思う。
だって、生まれてからこれまでの人生の中で、こんなにもからっぽで美しい存在を見たことがない。
願いを叶えるための具体的な手段も、そもそも叶うかどうかすらわからないまま、三成は、この不思議な生き物に恋をしたのだ。
元親の胸の空洞が、いつ出来たのかはわからない。
子供のころからあったのか、それとも大人になって、広がったのかも。
多分に息子の信親が関わっているだろう事は予想出来るのだが。
さりげなく話を振ってみると、元親はきょとんとした顔をして。
「・・・・・・やはり、おもしろい」
言って、言葉とはうらはらにするりと自分の手からすり抜け距離を取るのだ。
「大切なものが皆いなくなっていく、気が付いたら、こうなってしまった。俺を取り囲む静寂にも今は、もう慣れた。」
そう言うと、三成の顔を見、邪気無く笑う。
漂白されたようなその笑顔に、不安をおぼえる。
元親に惹かれれば惹かれるほど、不安は募ってゆくのだ。
いつか。
空洞を吹き抜ける風に浸食されて、元親が体を維持できなくなったら。
その瞬間を想像して、三成は恐怖する。
目の前でばさりと崩れて、銀色の砂になる元親。砂の山を前に、立ちつくす自分。
風にさらわれて、痕跡も残さずに飛散する砂。
たとえそれが、彼の望みなのだとしても。
唇を噛んで、三成は強く思う。
そんなのは、嫌だ。
飛んでいった魂の呼び戻しかたは、なかなか思いつかない。
それよりもまず、胸の浸食を止める方が先だ。いろいろと考えた三成は、虚ろを楽しい物で埋めることにした。
花の香、旬の食材、共に楽を奏で、舞を舞う。
自分の持てるかぎりの、美しいものや楽しいものの一切を注ぎ込んで、左官屋よろしく、せっせと元親の胸の虚ろを埋める。
「そろそろ、沈丁花の花が咲き始める。毎年良い香りがするのだ。とくに、こんな朧な夜は」
春の宵。
共に夕餉を摂りながら、三成はそう話題を振った。
「風もない、あたたかい夜だ。せっかくだから、食事が終わったら、散歩がてらにどうだ?」
三成の提案に、元親は少し首をかしげて。
やがて、うれしそうに微笑んで、頷き返す。
身じろぎに、胸の虚ろからぱらり、と、わずかに砂がこぼれ落ちた。
その様を見て、三成は思う。
浸食は、この頃随分と遅くなってきている。どうやら、自分の努力は、報われつつあるようだ。
ふいに、元親の目線が泳いだ。自分に注がれる穏やかな視線に気付くと、少し困ったように、面映ゆそうに微笑む。
いくつかの季節を共に過ごすうちに、少しずつ、彼はさまざまな表情を見せてくれるようになった。
そんな時、いつも。今もまた。自分に微笑みかける元親の顔を見ながら、三成は思うのだ。
(─── ほんとうに、あなたが大切だ。)
笑顔も、少し困った顔も。豊かな感情の動きを見せてくれるようになったあなたは、まるで日ごとに彩度を増してゆく、不思議な貴石のよう。
ずっと隣で見ていたい、俺の、ただひとりの人だ。
物言いたげに佇む人に向けて、三成は思いを込めて微笑みを返した。
その胸の寂しい虚ろを埋めて、愛しいあなたを、俺と、この世界につなぎとめるために。
09/06/07